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後藤 清(ごとう きよし、1946年6月18日 - )は、岐阜県出身の元プロ野球選手(投手)。 ==来歴・人物== 多治見工業高校では1964年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、加納高に敗退。卒業後は電電東海へ入社。1967年の都市対抗に出場。同年の伊勢神宮奉納JABA伊勢大会では最優秀投手に選出される。 1967年ドラフト会議で西鉄ライオンズから4位指名を受け入団。主として中継ぎに起用され1970年には38試合登板、1971年も30試合に登板した。1972年は1軍での登板が無く、同年に引退した。 豪速球の本格派で、ドロップは威力があった。長身から投げるカーブ、スライダーは切れ味が良く、フォークボールも武器とした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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