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後藤 玄利(ごとう げんり、1967年2月4日 -)は、日本の実業家。ケンコーコム株式会社代表取締役社長。 == 略歴 == 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家に生まれる。父の後藤國利は、うすき製薬の代表取締役のほか、1997年から2009年まで臼杵市長を務めた。1989年3月に東京大学教養学部基礎科学科を卒業した後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)勤務。 その後、1994年5月にうすき製薬に取締役として入社。当時、うすき製薬で取り扱っていた霊芝飲料「喜喜萬年」の通信販売のために、1994年11月に株式会社ヘルシーネット(現ケンコーコム株式会社)を設立し、代表取締役に就任した。1997年7月に、父の臼杵市長就任に伴い、うすき製薬の代表取締役に就任。一方、ヘルシーネットは2000年5月にインターネット通信販売サイト「ケンコーコム」を立ち上げ、同社の業務が多忙になったことから、うすき製薬については2001年8月に代表取締役を退任して取締役となり、さらに2010年4月には取締役も辞任している〔健康とECのBlog: うすき製薬設立90周年 2010年5月31日〕。 2004年、ケンコーコムは東京証券取引所マザーズに上場。 2009年、薬事法の改正に伴う厚生労働省令の改正よって原則として医薬品の対面販売が義務づけられたことに対して、医薬品の通信販売業者の業界のトップとして省令の無効を訴えている〔誰も理解していなかった「対面販売の原則」 行政訴訟に踏み切ったケンコーコム後藤玄利社長に聞く (日経ビジネスオンライン2009年6月1日付、2012年5月30日閲覧)〕〔「上告したら損害賠償請求も辞さない」 ケンコーコム、後藤玄利社長インタビュー (日経ビジネス2012年5月1日付、同年5月30日閲覧)〕。 2011年、東日本大震災発生直後に、東京にあったケンコーコムの本社機能の一部を福岡市に移転することを決断し、注目を集めた〔震災後、即、福岡へ移転 今後5年、東京で何があっても不思議はない――後藤玄利・ケンコーコム社長(1) (東洋経済オンライン2012年3月29日付、同年5月30日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤玄利」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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