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後藤祐乗[ごとう ゆうじょう]
後藤 祐乗(ごとう ゆうじょう、永享12年(1440年) - 永正9年5月7日(1512年6月20日))は、室町時代の金工家であり、装剣金工の後藤四郎兵衛家の祖。 ==来歴== 藤原利仁の後裔ともされる後藤基綱の子。諱は正奥、幼名は経光丸、通称は四郎兵衛。祐乗は剃髪入道してからの法号であるらしく〔小笠原信夫 『国史大辞典』5巻「後藤祐乗」「後藤家」、吉川弘文館、1985年〕、一説に祐乗法印と称したという。子に彦四郎(早世)・宗乗(後藤家2代)などがいる。 美濃国の出身。後藤家の所伝によると、初め将軍足利義政側近の軍士として仕えていたが、18歳の時に同僚からの讒言を受けたために入獄し、獄士に請うて小刀と桃の木を得て神輿船14艘・猿63匹を刻んで見せたところ、その出来栄えに感嘆した義政によって赦免され、装剣金工を業とするように命じられたと伝えられる。また、足利家から近江国坂本に領地300町を与えられた他、後花園天皇から従五位下・右衛門尉に叙任されたという。永正9年(1512年)5月7日に73歳で病没し、上品蓮台寺に葬られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤祐乗」の詳細全文を読む
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