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後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。 神奈川県出身で神奈川県立横浜翠嵐高等学校から早稲田大学卒業。主に1960年代〜1990年代にかけて、スポーツ中継を中心に活躍した。 == 人物 == *1959年(昭和34年)、中部日本放送に入社。中日ドラゴンズ戦の実況中継などのスポーツアナウンサーとして活躍。 *1997年に退職後、椙山女学園大学講師を勤めていた。 *カナダの野球史に詳しく、「バンクーバー朝日」のドキュメント番組の制作に関わっている。その後も「バンクーバー朝日」に関して独自に取材を重ね、これをまとめた著書を2010年3月に上梓〔戦前、カナダに日系人野球チーム 「バンクーバー朝日物語」出版 中日新聞 2010年4月3日付〕。 *ノーヒットノーランを達成した試合の実況中継(ラジオ)を2回担当している。 *中山義朗 (1964年8月18日 対巨人戦 ナゴヤ球場) *近藤真一 (1987年8月9日 対巨人戦 ナゴヤ球場〔ちなみにテレビ中継では、田口豊太郎アナ(当時)が実況を担当〕) *1974年10月12日、中日ドラゴンズが20年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた対大洋ホエールズ戦ダブルヘッダー第2試合のラジオ実況を担当した。 *また、1980年代後半~1990年代前半にかけてボクシングの実況も務めた。折から畑中清詞が台頭した時期であり、畑中が出場した世界タイトルマッチ全3試合のテレビ中継を実況した。1991年2月3日に畑中がWBC世界ジュニアフェザー級王座を奪取した際には、レフェリーが試合を止めてTKOを宣した瞬間、『終わりっ!終わりっ!』と絶叫気味に実況する場面もみられた。 :さらに、CBCが初めてラジオのボクシング中継を自社制作した、WBC世界バンタム級統一王座決定戦・薬師寺保栄対辰吉丈一郎戦(1994年12月4日)においても実況を担当した。このラジオ中継は、JRNを通じて全国16局に同時ネットされた〔なお、テレビ中継の実況は塩見啓一アナが担当。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤紀夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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