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後藤隆幸[ごとう たかゆき] 後藤 隆幸(ごとう たかゆき、1960年8月7日 - )は、秋田県出身の日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。Production I.G副社長、第一スタジオチーフ。秋田県立能代工業高等学校、国際アニメーション研究所卒業。 == 来歴・人物 == 1979年の劇場アニメ映画『銀河鉄道999』を見てアニメ業界を志す。高校卒業後、サラリーマンになるが、上京してアニメの専門学校へ入学。アニメの背景美術を志したが、専門学校がアニメーターを養成していたため、卒業後にドラゴンプロダクションへ入社してアニメーターとなる〔「直撃!!VIPルーム」『アニメV』1988年1月号、学習研究社。〕。作画スタジオのタマ・プロダクションを経て、東映動画やタツノコプロの作品に参加。特に1986年のテレビアニメ『ドテラマン』はオープニングとエンディングの作画をした以外に、ゲストキャラクターのサイコーユ鬼をデザイン。これは、後藤が当時ファンだった女優・歌手の斉藤由貴を模したもので、アニメ雑誌『アニメージュ』では後藤隆由貴のペンネームで4コマ漫画『こまったユ鬼ちゃん』を連載、後藤の名を浸透させるきっかけとなった〔。 1988年のテレビアニメ『赤い光弾ジリオン』ではキャラクターデザインを任せられ、後藤にとってこれが出世作となった。『赤い光弾ジリオン』終了後に、タツノコ制作分室の石川光久とともに有限会社アイジータツノコ(現・Production I.G)を設立、後藤は副社長に就任した。石川が制作担当を務めたタツノコプロ作品『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』、『ドテラマン』、『光の伝説』、『赤い光弾ジリオン』に立て続けに参加し、後述の後藤が主宰するスタジオ鐘夢の部屋を間借りした間柄であった。 絵柄は丸みを帯びており、本人は『Gu-Guガンモ』『はーいステップジュン』『ピュア島の仲間たち』などの丸っこいキャラクターばかり描いたためではないかと語っている〔。 「宇宙戦艦ヤマト2199」第四章以降の第2週目鑑賞者(第七章に関しては第1週と第2週)に配付された「森雪コレクションポストカード」で「晴れ着・森雪」を始めに「季節の森雪」を描いている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤隆幸」の詳細全文を読む
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