翻訳と辞書
Words near each other
・ 徐城県
・ 徐城県 (宿遷市)
・ 徐城県 (淮安市)
・ 徐堪
・ 徐外食
・ 徐夫人
・ 徐奉洙
・ 徐奕
・ 徐子珊
・ 徐宗幹
徐宣
・ 徐宣 (曹魏)
・ 徐家匯
・ 徐家匯区
・ 徐家匯聖イグナチオカテドラル
・ 徐家匯聖イグナチオ大聖堂
・ 徐家匯聖依納爵主教座堂
・ 徐家匯蔵書楼
・ 徐家匯駅
・ 徐家駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

徐宣 : ウィキペディア日本語版
徐宣[じょ せん]


徐 宣(じょ せん、生没年不詳)は、中国代から後漢時代初期の武将、政治家。驕穉徐州東海郡臨沂県の人。新代に蜂起した農民軍の赤眉軍における有力部将の1人である。
== 事跡 ==

=== 初期の事跡 ===

最初は県の獄吏を務めていたが、新代に徐州青州が大飢饉に見舞われ、盗賊が各地に蔓延るようになると、泰山(太山)郡で挙兵していた樊崇の傘下へ、琅邪郡出身の逄安、同郷の謝禄楊音と共に加わった。地皇3年(22年)、王莽は、赤眉軍を討伐するために、更始将軍・平均公廉丹、太師王匡の軍を派遣したが、樊崇、徐宣らはこれを撃破し、廉丹を討ち取っている。
更始1年(23年)10月、洛陽に遷都した更始帝(劉玄)に樊崇と共に降り、列侯に封じられている。しかし、樊崇、徐宣らは領地を与えられず、養えなくなった部下の兵士が逃走し始めたため、洛陽から逃亡して再び自軍の下に戻った。赤眉軍は頴川郡に入り、軍を2つに分け、一軍を樊崇が率い、もう一軍を徐宣が率いている。徐宣軍は陽翟、梁を攻略して河南太守を斬った。
赤眉軍は連戦連勝しながらも疲弊し、兵士たちは東へ帰ることを求め始めた。樊崇らは、東へ戻れば軍が瓦解すると判断し、あくまで更始帝の拠る長安へ進攻することにしている。更始2年(24年)冬、樊崇軍は武関から、徐宣軍は陸渾関から、それぞれ三輔へ進入し、翌更始3年(25年)1月には弘農郡で両軍が合流した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徐宣」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.