翻訳と辞書
Words near each other
・ 徐豁
・ 徐賢妃
・ 徐質
・ 徐載弼
・ 徐輝
・ 徐輝祖
・ 徐達
・ 徐達墓
・ 徐遠
・ 徐邈
徐鉉
・ 徐銘
・ 徐錚
・ 徐錫麟
・ 徐鍇
・ 徐鐘チョル
・ 徐鐘喆
・ 徐長今
・ 徐陵
・ 徐階


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

徐鉉 : ウィキペディア日本語版
徐鉉[じょげん]
徐鉉(じょげん、916年 - 991年)は、中国五代十国時代から北宋代の政治家・学者・書家。字は鼎臣(ていしん)。
弟の徐鍇(じょかい、「鍇」はかねへんに「皆」)とともに篆書によく通じて「二徐」と並び評され、弟に対し「大徐」と呼ばれた。篆書を中心とした後漢代の漢字字典『説文解字』の校訂者として知られる。
==生涯==

===幼少期から南唐代===
天祐13(916)年、広陵(現在の江蘇省揚州市)に生まれる。かなり利発な子供であったと言われ、10歳にして書文をよくものして地元随一の秀才と讃えられた。
長じて官吏となり、呉王朝に仕えて校書郎となったが、天祚3(937)年8月、21歳の時に呉最後の皇帝・楊溥太師であった徐知誥(李昪、「昪」はひらびの下に「弁」)に禅譲し、南唐が立った。ここでも優秀であった鉉は引き続き重用され、尚書右丞、兵部侍郎、翰林学士、御史大夫、吏部尚書など文官を中心に任用された。歴代皇帝の信任も篤く、また文官として優秀であったことから、五代十国の中でも特に文化王朝であった南唐を文化面から支えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徐鉉」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.