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御橋公[みはし こう]
御橋 公(みはし こう、1895年6月26日 - 1962年2月26日)は、大正・昭和期に活躍した日本の俳優。本名は大橋 芳雄。 == 来歴・人物 == 東京市生まれ。慶應義塾大学理財科を中退して、新劇協会に入る。1920年2月に『青い鳥』で初舞台を踏む。1926年、築地小劇場に移籍して、1929年3月に発生した劇団の分裂騒動では残留して、改称した劇団築地小劇場で舞台活動を続けた。1930年に脱退して、友田恭助らと劇団新東京の旗揚げに参加するが、翌1931年に脱退する。 1934年に映画俳優に転向し、P.C.L.映画製作所に入社。『続・只野凡児』で映画デビューした。以降、バイプレイヤーとして『噂の娘』や、山中貞雄監督の『人情紙風船』などに出演した。1938年、東京発声の『鶯』ではの警察署の人事主任役で印象的な演技を見せた。戦後はフリーとなり、数は少ないながらも出演を続けた。テレビドラマにも出演した。1961年の『人間の條件・完結篇』を最後にスクリーンを去り、1962年にガンのため死去した。66歳だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御橋公」の詳細全文を読む
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