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御菊御前 : ウィキペディア日本語版
菊の前[きくのまえ]
菊の前(きくのまえ、生年不詳 - 天正13年3月25日1585年4月24日))は、山田城の城主山田筑後守辰業の正室。御菊御前(おきくごぜん)とも。
== 概要 ==
菊の前は、山田辰業の正室であるが、その出自や生前の事績などは不明である。
天正13年(1585年)3月25日、宇都宮氏那須氏が総力を挙げて激突した薄葉ヶ原の戦いが勃発すると、夫の辰業はこの戦いにおいて討死し、居城の山田城は那須勢に攻められ落城する。この際、菊の前は家老山田新左衛門とともに城を脱出するが、新左衛門は菊の前を守って討死し、菊の前は花見どやと呼ばれる山に逃れる。しかし、さらに追っ手に追われると、菊の前は菊の前に従ってついてきた11人の侍女たちとともに、太鼓岩と呼ばれる崖の上から山の北下を流れる箒川に身を投げ自害した。
山田の歴史を記した山田環往来記は、次のように記す。
十二御前と云ふ所は、天正十三乙酉年三月十五日(二十五日の誤り)、薄葉ヶ原合戦の際、山田城主山田筑後守辰業の正室(菊の前)侍女と、此所迄逃落て進退谷(きわ)まりし故に、断崖絶壁の頂上より、主従十二人手に手を握合ふて、身を跳躍して、箒川の深渕に投身自殺を行ふた戦争秘話の遺跡なり・・・
そして現在、12人の女たちの悲劇があったその場所は十二御前と呼ばれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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