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御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)は京都市伏見区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。通称御香宮、御幸宮。伏見地区の産土神である。 神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。 また社務所内に小堀政一(遠州)が伏見奉行所内に作ったとされる庭園が移設されている。 == 由緒 == 初めは「御諸神社」と称した。創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。実際には菟芸泥赴によると、「筑前国糟谷郡の香椎御宮から神功皇后を勧請し皇后御廟香椎宮を略し、御香の宮と申す」とあり筑紫の香椎宮をこの地に分霊し勧請した説の方が有力であるが神社側は説の一つに過ぎないとして否定している。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されている。ボトルを持参して取水する地元民も多い。〔平成23年(2011年)7月31日の水質検査の結果、基準値より下回ったことが分かり、現在は濾過装置を通したきれいな水を提供している。〕。全国にある「香」の名前のつく神社は、古来、筑紫の香椎宮との関連性が強く神功皇后を祭神とする当社は最も顕著な例である。 豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした(現在でも古御香宮として残っており、また伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている)。 後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。 明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となったが、本殿等は無事であった。 昭和に入ってからはすぐ東を通る国道24号線の拡幅に伴い、境内の一部を道路用地として提供し、その際に元伏見奉行所の跡で、米軍のキャンプ地の跡である桃陵団地建設の際に発見された小堀遠州ゆかりの庭園が、造園家・中根金作の手によって、社務所の裏側に再現された。 本殿には、菊の御紋や五七の桐紋、葵の御紋が見られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御香宮神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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