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徳吉一己[とくよし かずみ]
徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手。 1958年に騎手としてデビューし、1993年の引退までに重賞14勝を含む536勝を挙げた。その後は騎手出身者として初めてJRA競馬学校騎手課程の教官となり、2001年まで務めた。以後は競馬評論家として活動している。同じくJRA騎手であった徳吉孝士は実子。 == 経歴 == 鹿児島県姶良郡牧園町出身〔『新版・調教師・騎手名鑑』、p.56〕。実家は数頭の馬を飼っており、中学生時分から競馬好きの兄に連れられて公営・鴨池競馬場を訪れ競馬にも親しんだ〔『優駿』1993年4月号、p.83〕。中学3年次、小柄だったことから騎手になることを勧められ、中央競馬の騎手養成長期課程を受験〔。合格後騎手養成所に入り、1958年に東京競馬場(のち美浦トレーニングセンター)の森末之助厩舎よりデビューした。同年9月7日に騎乗馬イチツバメで初勝利。 1968年の目黒記念におけるメジロタイヨウ(後の天皇賞優勝馬)をはじめ、ヤマブキオーで重賞3勝を挙げるなど、数々の重賞勝利馬に騎乗した。騎手生活晩年には日本騎手クラブ副会長を務めている〔『優駿』1993年4月号、p.82〕。1993年初頭にJRA副理事長から競馬学校教官への転身を打診され〔、同年2月28日をもって騎手を引退。通算成績は4994戦536勝、うち重賞14勝。なお、引退レース(2月27日第2回中山競馬場初日第7競走・新馬)ではセントバルカンに騎乗して1位に入線したものの、審議があり6着への降着処分が下された。本来ならば6日間の騎乗停止(当時は原則として、降着・失格となった競走が行われた翌日から適用)となるが、翌2月28日で騎手免許を返上することになっていたため、騎乗停止はその日のみ適用という形になった。徳吉は引退後に行った杉本清との対談において、騎手生活の「一番の思い出」としてこのレースを挙げ、「これから教官になろうという人間ですからね、これは一生思い出に残るでしょう(笑)〔」と語った。 翌3月より競馬学校で後進の指導に入る〔。同年入学した第12期生からは福永祐一、和田竜二などの騎手が輩出され、「競馬学校花の12期生」と呼ばれた。2001年、森厩舎の弟弟子であった蓑田早人に後任を託し退職。以後競馬評論家として活動している。東京中日スポーツにて予想コラム「鬼教官の徳ダネ!」を連載中。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳吉一己」の詳細全文を読む
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