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徳大寺公弘
徳大寺 公弘(とくだいじ きんひろ、文久3年8月14日(1863年9月26日) - 昭和12年(1937年)1月4日)は、明治・昭和期の公卿。従二位。徳大寺実則の長男。弟に高千穂宣麿、徳大寺則麿(分家、男爵)、徳大寺彬麿(建築家)。妹に公爵鷹司熙通夫人・順子、侯爵佐竹義生夫人・祚子、三井高従(三井室町家)夫人・蓁子、子爵松平頼孝夫人・治子、公爵島津忠重夫人・伊楚子がいる。甥に西園寺公望、住友友純、末弘威麿。母は山内豊資の娘・嘉年子。子は徳大寺実厚(平安神宮宮司)。妻は松平典則の娘・久子。 東京府出身。1885年(明治18年)イギリスに留学。1887年(明治20年)宮内省御用掛を務めた。父歿後、1919年(大正8年)に公爵の爵位を授爵し、貴族院議員として火曜会に属し活躍。1937年(昭和12年)1月4日死去。75歳。
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