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徳大寺公親 : ウィキペディア日本語版
徳大寺公親[とくだいじ きんちか]

徳大寺 公親(とくだいじ きんちか)は、平安時代後期の公卿。参議正三位皇后宮権大夫従一位左大臣徳大寺実能の二男。母は従一位右大臣藤原宗忠の娘。中納言藤原家成の六男実教を猶子とした。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
保延2年(1136年)1月6日、従五位下に叙せられる〔中宮御給。〕。保延3年(1137年)2月5日、侍従に任ぜられる。康治元年(1142年)12月21日、右近衛権少将に任ぜられる。康治2年(1143年)1月6日、従五位上に昇叙。同月27日、讃岐権介を兼ねる。同年4月18日、禁色を許される。康治3年(1144年)1月7日、正五位下に昇叙〔新院の前年の御給。〕。久安元年(1145年)11月19日、従四位下に昇叙〔朔旦の叙位。〕。久安4年(1148年)1月20日、越前権介を兼ねる。久安5年(1149年)10月11日、従四位上に昇叙〔待賢門院未給分。〕。久安6年(1150年)1月24日、正四位下に昇叙〔朝観行幸時の賞。統子内親王御給。〕。仁平元年(1151年)7月24日、左近衛権少将に転任。仁平4年(1154年)8月10日、右近衛権少将に転任。久寿3年(1156年)4月6日、右近衛権中将に転任。同日、蔵人頭に補される。
保元元年(1156年)9月13日、参議に任ぜられる。同月17日、右中将は元の如し。10月27日、中宮権大夫を兼ねる。保元2年(1157年)1月24日、備前権守を兼ねる。同年10月23日、従三位に叙せられる〔この間、父実能の喪に服していた。〕。保元3年(1158年)11月26日、正三位に昇叙。平治元年(1159年)2月21日、皇后宮権大夫に転任。同年4月2日、解官される〔朔日におこなわれた孟夏旬に理由なく不参のため。この時、同じ理由で中納言藤原伊実、参議源定房が解官されている。二条天皇即位後、改元直前のことである。〕。同年7月10日、薨去。享年29。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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