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徳大寺実厚
徳大寺 実厚(とくだいじ さねあつ、1889年(明治20年)12月 - 1970年(昭和45年)3月15日)は、日本の華族。正四位。徳大寺公弘の長男。叔父に高千穂宣麿、徳大寺則麿(分家、男爵)、徳大寺彬麿(建築家)。叔母に公爵鷹司熙通夫人・順子、侯爵佐竹義生夫人・祚子、三井高従(三井室町家)夫人・蓁子、子爵松平頼孝夫人・治子、公爵島津忠重夫人・伊楚子がいる。大叔父に西園寺公望、住友友純、末弘威麿。母は松平典則の娘・久子。子は家督継承する公英、伯爵大谷光照夫人・嬉子、賀陽宮恒憲王第一女子・美智子女王が降嫁した斉定。妻は松平直之 (伯爵)の娘・米子。 東京府出身。麹町小学校卒業。1932年(昭和7年)に昭和天皇の侍従となり、掌典長を務める。1937年(昭和12年)から貴族院公爵議員。戦中は陸軍騎兵中佐に任じられた。戦後は平安神宮宮司などを務める。家督を継承している徳大寺公英は美術評論家としての顔も持つ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳大寺実厚」の詳細全文を読む
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