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徳大寺実堅 : ウィキペディア日本語版
徳大寺実堅[とくだいじ さねかた]
徳大寺 実堅(とくだいじ さねかた、寛政2年12月6日1791年1月10日) - 安政5年11月11日1858年12月15日))は、江戸時代後期の公卿。父は鷹司輔平、母は家女房の山形氏、養父は徳大寺公迪。妻は醍醐輝久の娘・信子。子に四辻公績中院通富、定君(西園寺師季室)、養子徳大寺公純徳大寺実則西園寺公望住友友純らの父)がいる。
享和元年(1801年)に侍従となり、以後順調に出世を重ねる。仁孝天皇の信任が厚く、天皇より学問所(後の学習院)設置の意向を受けると、武家伝奏として江戸幕府と交渉した。
嘉永元年(1848年)に内大臣右近衛大将に任じられ、翌年辞任すると従一位を授けられた。
国学者としても知られる香川景樹は実堅に仕えていたことがあり、実堅は景樹から親しく和歌を学んだと言われている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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