翻訳と辞書
Words near each other
・ 徳大寺君枝
・ 徳大寺多子
・ 徳大寺実久
・ 徳大寺実則
・ 徳大寺実厚
・ 徳大寺実基
・ 徳大寺実堅
・ 徳大寺実孝
・ 徳大寺実定
・ 徳大寺実家
徳大寺実憲
・ 徳大寺実時
・ 徳大寺実淳
・ 徳大寺実盛
・ 徳大寺実祖
・ 徳大寺実維
・ 徳大寺実能
・ 徳大寺実通
・ 徳大寺家
・ 徳大寺忻子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

徳大寺実憲 : ウィキペディア日本語版
徳大寺実憲[とくだいじ さねのり]
徳大寺 実憲(とくだいじ さねのり、正徳4年1月18日1714年3月4日) - 元文5年7月16日1740年8月8日))は、江戸時代中期の公卿。主に中御門天皇(114代)・桜町天皇(115代)の二帝にわたって仕え、官位は正二位権大納言まで進んだ。父は内大臣徳大寺公全。母は太政大臣近衛家熙の娘。妻は大洲藩加藤泰恒の娘。子に権大納言徳大寺公城がいる。
享保3年(1718年)に叙爵して以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従左近衛中将を経て、享保9年(1724年従三位となり、公卿に列する。享保13年(1728年)には権中納言となる。また同年昭仁親王(桜町天皇)の立太子に伴い、その春宮権大夫となる。享保16年(1731年)には権大納言、また正式な春宮大夫となった。享保20年(1735年皇太子の即位に伴い、春宮大夫を辞職した。元文3年(1738年)に正二位へ昇進するも、元文5年(1740年)に病に罹り、朝廷への出仕を憚かるようになり、同年のうちに薨去した。享年27。
==関連項目==

*徳大寺家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徳大寺実憲」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.