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徳大寺実維 : ウィキペディア日本語版
徳大寺実維[とくだいじ さねふさ]
徳大寺 実維(とくだいじ さねふさ、寛永13年3月1日1636年4月6日) - 天和2年9月11日1682年10月11日))は、江戸時代前期の公卿明正天皇(109代)・後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)の四帝にわたって仕え、官位は正二位内大臣まで進む。父は左大臣徳大寺公信。母は長州藩毛利秀就の養女(岩国藩吉川広正の娘)。正室は権大納言藪嗣孝の娘。子に徳大寺公逸徳大寺公観養子内大臣徳大寺公全がいる。
寛永14年(1637年)に叙爵して以降清華家当主として早いスピードで累進し、侍従左近衛少将左近衛中将を経て、承応2年(1653年)には従三位となり、公卿に列する。権中納言を経て、寛文元年(1661年)に権大納言となる。寛文9年(1669年)には右近衛大将右馬寮御監となったが、寛文10年(1670年)には辞した。寛文11年(1671年)に内大臣に就任するも翌年に辞職。
==関連項目==

*徳大寺家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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