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徳大寺家(とくだいじけ)は、清華家の家格を有する公家。藤原北家の閑院流で西園寺家や三条家とは兄弟筋にあたる。家紋は木瓜花菱浮線綾を使用。笛を家業とした。維新後侯爵となり、その後公爵に陞爵。通字は「公」・「実」。 藤原公実の四男実能を祖とする。平安時代末期、左大臣時代の実能が衣笠山の西南麓を所有した別邸を営み、その中に持仏堂を建て徳大寺(得大寺)と命名。これが後に家名となった。後にこの別邸は細川勝元に譲られて龍安寺の元となった。江戸時代には屋敷が後の同志社大学の構内にあった。 == 歴代当主 == # 徳大寺実能 1096-1157 (左大臣) # 徳大寺公能 1115-1161 (右大臣) # 徳大寺実定 1139-1191 (左大臣) # 徳大寺公継 1175-1227 (左大臣) # 徳大寺実基 1194-1265 (太政大臣) # 徳大寺公孝 1253-1305 (太政大臣) # 徳大寺実孝 1293-1322 (権中納言) # 徳大寺公清 1312-1360 (内大臣) # 徳大寺実時 1338-1404 (太政大臣) # 徳大寺公俊 1371-1428 (太政大臣) # 徳大寺実盛 1400-1428 (権大納言) # 徳大寺公有 1422-1486 (右大臣) # 徳大寺実淳 1445-1533 (太政大臣) # 徳大寺公胤 1487-1526 (左大臣) # 徳大寺実通 1513-1545 (権大納言、越中にて自害した) # 徳大寺公維 1537-1588 (養子、内大臣) # 徳大寺実久 1583-1616 (養子、権中納言) # 徳大寺公信 1608-1684 (左大臣) # 徳大寺実維 1636-1682 (内大臣) # 徳大寺公全 1678-1719 (養子、内大臣) # 徳大寺実憲 1713-1740 (権大納言) # 徳大寺公城 1730-1782 (権大納言、勤王家) # 徳大寺実祖 1754-1819 (養子、右大臣) # 徳大寺公迪 1770-1811 (権大納言) # 徳大寺実堅 1790-1858 (養子、内大臣) # 徳大寺公純 1821-1883 (養子、右大臣) # 徳大寺実則 1839-1919 (侍従長、宮内大臣、内大臣、侯爵、公爵)侯爵を授かる。後に公爵に陞る。 # 徳大寺公弘 1866-1937 (公爵、貴族院議員)弟の則麿は分家し男爵を授かった。 # 徳大寺実厚 1889-1970 (公爵、掌典長、平安神宮宮司) # 徳大寺公英 1919- (美術評論家) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳大寺家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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