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徳山文宗 : ウィキペディア日本語版
徳山文宗[とくやま ふみむね]

徳山 文宗(とくやま ふみむね、本名:洪 文宗(ホン・ムンジョン、ハングル:홍문종)、1954年11月11日 - )は、大阪府大阪市生野区〔鄭仁和 『いつの日か海峡を越えて ―韓国プロ野球に賭けた男たち』 文藝春秋、1985年、150頁。〕出身の元プロ野球選手外野手)。在日韓国人<野球>ハンファ、在日同胞の姜秉秀と契約 〕。
== 来歴・人物 ==
興國高から立命館大学に進み、中心打者として活躍。関西六大学野球リーグでは外野手としてベストナインにも選ばれる。
1976年のドラフト2位指名でクラウンライターライオンズに入団。俊足、強打の外野手として期待されたが、伸び悩み二軍ではそこそこ活躍するものの一軍ではまったく成績を残せなかった。オフに戦力外通告。その後、ロッテオリオンズへ移籍。
限りでロッテオリオンズを退団すると、まで登録名を本名の「洪文宗」として韓国球界でプレーした。
ロッテ・ジャイアンツでは、韓国球界1年目のシーズンから、当年の打撃三冠のタイトルに挑戦中だった三星ライオンズの李萬洙と首位打者を巡って熾烈な競争を繰り広げた。しかし、シーズン終了が近づくにつれ、同僚に打撃三冠を取らせようとした三星投手陣がわざと勝負を回避して、9打席連続で敬遠する珍事を経験する。結局その年は打率2位に終わった。に太平洋ドルフィンズへ移籍後はやや衰えが見え始めたものの、黎明期の韓国プロ野球を支えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徳山文宗」の詳細全文を読む



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