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徳島市公安条例事件(とくしましこうあんじょうれいじけん)とは、当時の道路交通法において道路使用許可の条件についての違反の罰則が3月以下の懲役又は3万円以下の罰金に処する旨の罰則を定めていたのに対し、集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和27年徳島市条例第3号)(以下、「徳島市公安条例」という。)における、条例違反における罰則が1年以下の懲役若しくは禁錮又は5万円以下の罰金に処するとされており、法律より条例のほうが重い罰則が定められていることから、このような条例が許されるのかや同条例の文言の明確性について争われた事件であり、特に、法律と条例制定権の範囲について示した判例として著名である。 ただし、事件については同一被告人に対して2件存在し、刑集に掲載されていない同日に言い渡されたもう一つの判決は昭和46年(あ)第1176号は、判例時報787号42頁・判例タイムズ327号143頁に掲載されている。 ==事案の概要== 「被告人は、日本労働組合総評議会の専従職員兼徳島県反戦青年委員会の幹事であるところ、1968年12月10日県反戦青年委員会主催の『B52、松茂・和田島基地撤去、騒乱罪粉砕、安保推進内閣打倒』を表明する徳島市藍場浜公園から同市新町橋通り、東新町、籠屋町、銀座通り、東新町、元町を経て徳島駅に至る集団示威行進に青年、学生約300名と共に参加したが、右集団行進の先頭集団数十名が、同日午後6時35分ころから同6時39分ころまでの間、同市元町二丁目藍場浜公園南東入口から出発し、新町橋西側車道上を経て同市新町橋通り一丁目22番地豊栄堂小間物店前付近に至る車道上において、だ行進を行い交通秩序の維持に反する行為をした際、自らもだ行進をしたり、先頭列外付近に位置して所携の笛を吹きあるいは両手を上げて前後に振り、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動し、かつ、右集団示威行進に対し所轄警察署長の与えた道路使用許可には『だ行進をするなど交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと』の条件が付されていたにもかかわらず、これに違反したものである。」というのであり、このうち被告人が「自らもだ行進をした」点が道路交通法77条3項、119条1項13号に該当し、被告人が「集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もって集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動した」点が「集団行進及び集団示威運動に関する条例」(昭和27年1月24日徳島市条例第3号)3条3号、5条に該当するとして、起訴されたものである。 第1審の徳島地裁は、道路交通法違反の点について被告人を有罪としたが、徳島市公安条例違反の点については無罪とした。その理由は、道路交通法77条は、表現の自由として憲法21条に保障されている集団行進等の集団行動をも含めて規制の対象としていると解され、集団行動についても道路交通法77条1項4号に該当するものとして都道府県公安委員会が定めた場合には、同条3項により所轄警察署長が道路使用許可条件を付しうるものとされているから、この道路使用許可条件と本条例3条3号の「交通秩序を維持すること」の関係が問題となるが、条例は「法令に違反しない限りにおいて」、すなわち国の法令と競合しない限度で制定しうるものであつて、もし条例が法令に違反するときは、その形式的効力がないのであるから、本条例3条3号の「交通秩序を維持すること」は道路交通法77条3項の道路使用許可条件の対象とされるものを除く行為を対象とするものと解さなければならないところ、いかなる行為がこれに該当するかが明確でなく、結局、本条例3条3号の規定は、一般的、抽象的、多義的であつて、これに合理的な限定解釈を加えることは困難であり、右規定は、本条例5条によつて処罰されるべき犯罪構成要件の内容として合理的解釈によつて確定できる程度の明確性を備えているといえず、罪刑法定主義の原則に背き憲法31条の趣旨に反するとした。 控訴審の高松高裁も、本条例3条3号の規定が刑罰法令の内容となるに足る明白性を欠き、罪刑法定主義の原則に背き憲法31条に違反するとした第一審判決の判断に過誤はないとして、検察官の控訴を棄却した。 これに対して、検察官が上告したのが本件である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳島市公安条例事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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