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徳川 吉孚(とくがわ よしざね)は、水戸藩第3代藩主徳川綱條の世子。 == 生涯 == 貞享2年(1685年)8月11日、水戸藩第2代藩主徳川光圀の養嗣子であった綱條の三男として生まれる。綱條の家督相続後にその世子となり、元服して将軍徳川綱吉の偏諱を受けて吉孚と名乗る。家臣団の人望も厚く、綱條から将来を大いに期待されていた。しかし家督相続を果たせず、宝永6年(1709年)10月12日に死去した。享年25(満24歳没)。 跡継ぎを失った綱條は、甥の高松藩主松平頼豊の長男・宗堯を養嗣子とした。綱條の死後、宗堯は吉孚の娘・美代姫(血縁上は宗堯の又従姉妹にあたる)を娶り、5代藩主宗翰をもうけて綱條の血筋を伝えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳川吉孚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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