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『徳川実紀』(とくがわじっき)は、19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式記録。国史大系に収録されている。徳川実記という表記は誤りである。 == 概要 == 正確には、歴代将軍の諡号を冠して、それぞれの将軍に関する記録を『東照宮御実紀』『台徳院殿御実紀』…と称する。『徳川実紀』というのはそれらをまとめた総称・通称である。徳川家康から10代将軍徳川家治(天明期、1786年)までの事象を日ごとに記述している。それぞれの記録は、歴代将軍在任時の出来事を日付順にまとめた本編と、その将軍にまつわる逸話を集めた附録からなっている。文化6年(1809年)に起稿、嘉永2年(1849年)12代徳川家慶に献じられた。 編纂は成島司直(なるしま もとなお、柳北の祖父)ら。 それぞれの記事の出典が記されているため、江戸時代を知る基本史料となっている。 徳川実紀の記事は、幕府の日記を基礎として記述されているが、明暦の大火による各種史料の焼失など、開府から実紀の編纂が開始されるまでの長年の間に散逸が見られる。日記の欠落した期間は、別の史料を寄せ集めて記載した旨が、編者の註として記されている。記事の利用にあたっては、文中に記された出典の史料名に留意すべきである。 成島家(司直・良譲・柳北の三代)は引き続き実紀の編纂を続け(『続徳川実紀』)、明治元年(1868年)までを記述して終わっている。編纂当初は「御実紀」と称していたが明治時代に活字本として刊行した時に『徳川実紀』という総称が用いられ、それ以来この総称が一般的となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳川実紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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