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徳川家康の馬印 : ウィキペディア日本語版
徳川家康の馬印[とくがわいえやすのうまじるし]

徳川家康の馬印(とくがわいえやすのうまじるし)は、徳川家康が、主に戦場や行軍で自分の位置を示したり、味方の士気を鼓舞するため、軍旗のほかに用いた、木や竹などの柄を付けた装飾物のこと。家康は金扇(きんおうぎ、きんせん)の馬印を好んで用いた。
== 概要 ==
家康は金扇の大馬印を用いたことで知られるが、初期には「厭離穢土欣求浄土」の纏(大将の旗)のみを用いたが、やがて金扇を馬印として併用するようになった。しかし、その由来や使用開始時期には諸説がある(次項参照)。また小馬印の銀の繰り半月もこれに加えて使用された。これらの馬印は徳川将軍家の歴代にも受け継がれ所持された。
#小馬印・・・金のふくべに金の切裂、および銀の繰半月;寛永頃刊の御馬印では台徳院様(徳川秀忠)になっている。
#大馬印・・・金扇(久能山東照宮博物館 所蔵);寛永頃刊の御馬印では台徳院様(徳川秀忠)になっている。
#・・・厭離穢土欣求浄土の旗(白地に墨書き文字)、および金地に赤丸の太極
寛永頃刊の御馬印;色刷本(吉田光由の撰)、巻一;権現様(徳川家康)、台徳院様(徳川秀忠)、御三家以下。巻四;織田信長豊臣秀吉。寛永年間(1624年~1644年)関ヶ原の戦い大坂の役島原の乱に用いられた諸大名の馬印を収録。
『拾遺柳営秘鑑』、公方様御籏御馬印の記述:
:「大御馬印  金扇五本骨 扇間四方也」
:「小御馬印  銀鶴半月」
※『徳川実紀』に、小牧・長久手の戦いに本陣の象徴として登場。家康が出陣した戦いを描いた合戦図屏風には必ず描かれているという。幕末鳥羽・伏見の戦いの時、徳川慶喜大坂城から逃亡する際にこの馬印を城内に置き忘れ、侠客新門辰五郎(娘が慶喜の愛妾だった)がこれを拾って江戸まで送り届けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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