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徳川慶壽 : ウィキペディア日本語版
徳川慶壽[とくがわ よしひさ]

徳川 慶壽(とくがわ よしひさ)は、江戸時代御三卿一橋徳川家の7代当主。
文政6年(1823年)3月4日、田安徳川家当主・徳川斉匡の五男として生まれる。官位は従三位左近衛権中将民部卿参議贈権中納言天保9年(1838年5月25日、先代当主・徳川慶昌が死去して空位となっていた一橋徳川家の家督を継承する。同年9月5日元服し、将軍徳川家慶から偏諱を受けて慶壽と名乗り、従三位左近衛権中将に叙される。
天保12年(1841年12月2日伏見宮貞敬親王の娘・直子女王と婚姻する。弘化3年(1846年12月1日参議に任じられた。
弘化4年(1847年)5月7日、25歳で夭折した。法号は承休院。嘉永6年(1853年2月10日に権中納言が追贈された。
嗣子が無かったため、尾張藩主・徳川斉荘の長男・昌丸末期養子として跡を継がせた。
==出典==

*『徳川諸家系譜3』



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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