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徳川長丸 : ウィキペディア日本語版
徳川長丸[とくがわ ちょうまる]
徳川 長丸(とくがわ ちょうまる、慶長6年2月1601年3月) - 慶長7年7月1602年8月)〔『系図纂要』〕/慶長6年12月3日(1602年1月25日) - 慶長7年9月25日(1602年11月8日)〔『徳川諸家系譜』第2巻『幕府祚胤伝』〕)は、安土桃山時代における徳川氏の一族。徳川秀忠の長男で庶子。母は家女とのみしか伝わっていない。徳川家光徳川忠長保科正之らの異母兄。
江戸に生まれる〔藤井(1997年4月)〕。秀忠にとって初めての男子であったため、自らの幼名をとって長丸と名づけて嫡男とした〔。母親に関しては『徳川幕府家譜』第2巻『幕府祚胤伝』において家女とのみしか伝わっていないため〔、身分がかなり低かった可能性が指摘されている。長丸は生まれた翌年の9月25日に数え年2歳(満10ヶ月)で夭逝した〔藤井(1997年4月)〕。死因は『幕府祚胤伝』および『御早世被当御灸』によれば灸によるとされている。
その他に、『鹿苑日録』慶長六年九月二十日条、『言経卿記』慶長六年九月二十一日条に秀忠の息子が亡くなったとする記述があるため、『徳川幕府家譜』『幕府祚胤伝』の生没年の記述を誤りとし、慶長6年(1601年)9月に死去したのが長丸であるとする説もある〔福田千鶴『江の生涯』(中公新書、2010年)145-147頁〕。
この2年後に正室との間に生まれた次男の家光が嫡子となり〔、後に第3代将軍となる。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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