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徳川頼貞[とくがわ よりさだ]
徳川 頼貞(とくがわ よりさだ、旧字体:德川 賴貞、1892年(明治25年)8月16日 - 1954年(昭和29年)4月17日)は、日本の音楽学者、政治家、実業家。位階は正三位。勲等は勲二等。爵位は侯爵。雅号は薈庭(わいてい)。有職読みで「ライテイさん」とも呼ばれた。 == 概要 == 御三家の紀州徳川家の第16代当主。母方の祖父徳川茂承は紀州藩主。母方の祖母徳川則子を通じて伏見宮邦家親王の曾孫に当たる。父方の祖父は徳川慶頼であり、徳川宗家第16代当主徳川家達は伯父に当たる。 楽譜や音楽文献、古楽器類の収集家として知られ、「音楽の殿様」と称された。日本楽壇の進歩発展に尽力するなど、戦前における西洋音楽のパトロンとして頼貞の果たした役割は大きい。戦前は貴族院議員として、戦後は参議院議員として、約30年間にわたって憲政に携わり、音楽を通じて築いた人脈を利用して主に外交において活躍した。ユネスコ国会議員連盟、フィリピン協会、全日本音楽協会の各会長、パリ国立高等音楽院名誉評議員などを歴任した。また、万国議員商事会議、列国議会同盟会議、万国音楽連盟、ユネスコ国際会議などには日本代表として出席している。 妻の為子は公爵島津忠重の妹。頼貞は島津家を通じて香淳皇后の義理の叔父に当たる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳川頼貞」の詳細全文を読む
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