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徳間康快 : ウィキペディア日本語版
徳間康快[とくま やすよし]

徳間 康快(とくま やすよし、1921年10月25日 - 2000年9月20日)は、日本実業家映画プロデューサー
株式会社徳間書店社長(初代)、大映株式会社社長、学校法人逗子開成学園理事長(第5代)、逗子開成高等学校校長(第12代)、株式会社スタジオジブリ社長(初・3代)、東京都写真美術館館長(第3代)などを歴任した。
== 来歴・人物 ==
神奈川県横須賀市生まれ。
逗子開成中学校を経て、早稲田大学商学部卒業。青年期は共産党員であった。1943年読売新聞社(現:読売新聞東京本社)に入社したが読売争議により1946年、2年半で同社を退社。緒方竹虎副総理の紹介で新光印刷の社長に29歳で就任〔。その後、読売新聞時代の友人・竹井博友が社長をしていたアサヒ芸能新聞の経営を引き受け1954年徳間書店社長に就任、週刊誌に変更して大きな成功を収めた〔〔「映画・トピック・ジャーナル」徳間『大映』スタート、『キネマ旬報』1974年6月上旬号、162-163頁。〕。また遠藤実のミノルフォン音楽工業を引き受け、五木ひろしとの出会いからレコード業界にも名乗りを上げ、徳間音楽工業と社名変更した(のち徳間ジャパン)〔。1973年グループ17番目の事業として東京タイムズの経営に着手〔、大映買収にも成功した(後述)。
母校である逗子開成中学校・高等学校を運営する逗子開成学園の理事長や、東京都写真美術館の館長なども務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徳間康快」の詳細全文を読む



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