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徴弐 : ウィキペディア日本語版
徴姉妹[ちょう しまい]

徴 姉妹 (ちょう しまい、 ハイ・バー・チュン、チュノム:、) とは、1世紀後漢交州 (現在のベトナム北部など) で起こった反乱を首謀した徴側 (ちょうそく、〔チュン・チャク〕、? - 43年)と徴弐 (ちょうに、〔チュン・ニ〕、? - 43年) の姉妹を指す。
== 生涯 ==

=== 前半生 ===
徴側は峯州麋冷県の有力な貉将 (地域の軍事指導者) の娘として生まれ、朱鳶県 (現:ハタイ省ソンタイ) の有力者であった の妻であった。徴弐の出生地は伝わっていないが、姉と同様であると考えられる。
前漢武帝期に中国の支配下に入ったベトナム(南越→交州) では、漢に支配される前まで貉将および貉侯(地域の領主)が有していた税の徴収権が中国側へと移管されていた。当時、南越を支配していた後漢に対して、国内の有力者であった徴側が取り纏める形で〔当時の南越は女系社会であったとされる。〕、徴税権を南越側に移管するよう、後漢政府に通告した。
交趾郡太守・ の悪政もあって、40年3月には南越内の合浦・九真・日南各郡65の県の貉将・貉侯がこれに賛同した〔『後漢書』馬援列伝では「徴姉妹は65の城・砦を攻略した」とある。〕。徴側の妹であった徴弐も加わって、徴側は自ら女王として「徴王」を自称し麋冷県に宮廷を構えて徴税を強行する姿勢を示した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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