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徳川宗春[とくがわ むねはる]
徳川 宗春(とくがわ むねはる)は、江戸時代中期の大名。尾張徳川家第7代当主・第7代尾張藩主。尾張藩主前は御連枝である大久保松平家当主(陸奥梁川藩主)。 尾張藩主就任時に規制緩和政策をとった宗春は、質素倹約策の8代将軍徳川吉宗とよく対比される〔実際に宗春が吉宗を直接批判したとする当時の一次資料は残っていない。江戸幕府の公式記録である『徳川実紀』には、むしろ吉宗は宗春にたいへん目をかけていた記録が散見される。宗春が江戸でも尾張藩内と同じように派手な言動をとった記録は、尾張藩江戸上屋敷市ヶ谷邸を江戸庶民に開放した享保17年5月の端午の節句以外の直接的な資料はいまだ見つかっていない。〕が、幕府が元文の改鋳で金融緩和をした際には、尾張藩では引き締め政策を行っており、単純な規制緩和ではなかった。 歴代藩主と同様、尾張藩主就任後に吉宗から「宗」の偏諱を授かって「宗春」と改名した(後述)。改名前の諱は兄徳川吉通の「通」の字を得て通春。 == 生涯 == 〔『徳川実紀『尾藩世記』『金府紀較』『尾張藩御日記頭書』『尾張徳川家系譜』より〕
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tokugawa Muneharu 」があります。
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