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徳川 慶朝(とくがわ よしとも、1950年(昭和25年)2月1日 - )は、日本の写真家。徳川幕府第15代将軍徳川慶喜の曾孫で、旧公爵徳川慶喜家の現当主。徳川の徳の字は、正式には「四」と「心」の間に「一」が入る正字(德)を使う。母方を通じて松平容保の曾孫でもある。前妻は長岡祥三の長女貴子。伯母は宣仁親王妃喜久子。幼少時はよく宮邸に呼ばれ、可愛がられたという。 == 人物 == 1950年(昭和25年)、元公爵で元貴族院議員の徳川慶光を父として、会津松平家出身の徳川和子を母として静岡市郊外の瀬名に生まれ、生後1-2ヶ月で東京都港区高輪に移住。1972年(昭和47年)に成城大学経済学部を卒業し〔本田靖春『現代家系論』p.204(文藝春秋社、1973年)〕、写真家として本田技研工業グループ傘下の広告制作会社東京グラフィックデザイナーズに20年間勤務し、広告写真の分野で活躍。現在はフリーランスで活動している。フリーとして独立した後は主に徳川家伝来の遺跡や歴史的建造物を中心に撮影している。 ホンダの広告代理店のカメラマンとして勤務していた頃は主に自社の自動車やバイクなどを撮影していたが、フリーで活動を開始してからは徳川慶喜家に秘蔵していた写真を再発見し、修正から保存・整理も行っていることでも知られる。この中には慶喜自身が撮影した写真も含まれているという。 1972年(昭和47年)9月から東京都町田市のすずかけ台に住んでいたが〔本田靖春『現代家系論』p.201(文藝春秋社、1973年)〕、2009年(平成21年)現在、茨城県在住。 曽祖父慶喜が「けいき」、祖父慶久が「けいきゅう」、父慶光が「けいこう」と有職読みされていたことにあやかって、「けいちょう」というニックネームで呼ばれている。 宣仁親王妃喜久子の著書『菊と葵のものがたり』によれば、慶朝は昭和50年代に結婚歴がある。現在は独身で養子を取らないことを明言している。 自ら焙煎したコーヒー豆が"徳川将軍珈琲"の名で販売されている。 静岡文化芸術大学非常勤講師。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「徳川慶朝」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tokugawa Yoshitomo 」があります。 スポンサード リンク
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