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忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)は第19代允恭天皇の皇后であり、木梨軽皇子(允恭天皇の皇太子)・第20代安康天皇・第21代雄略天皇の母。父は稚野毛二派皇子(応神天皇の皇子)。母は弟日売真若比売命(日本武尊の曾孫)。意富富杼王(継体天皇の曾祖父)の同母妹。 日本書紀允恭紀に、允恭天皇2年春2月14日(413年3月31日)立后され、名代部として刑部(おっさかべ)が設定されたとある。このとき設定された名代部の一つが火葦北国(ひのあしきたのくに。熊本県八代・葦北地方)であるとする説がある。当地から阿蘇ピンク石という石材が産出しており、河内平野の古墳の石棺にこの石材が用いられていることから、何らかの関係があるとする見方もある。 允恭天皇42年12月14日(454年1月28日)、安康天皇の即位と同日に皇太后となった。 == 系譜 == *父:稚野毛二派皇子 *母:弟日売真若比売命 *同母兄:意富富杼王 *同母妹:衣通姫 *夫:允恭天皇 *子:木梨軽皇子・名形大娘皇女・境黒彦皇子・安康天皇・軽大娘皇女・八釣白彦皇子・雄略天皇・但馬橘大娘皇女・酒見皇女 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「忍坂大中姫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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