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志太勤[しだ つとむ]
志太 勤(しだ つとむ、1934年10月14日 - )は、日本の実業家。シダックス創業者、取締役最高顧問。 == 来歴 == 静岡県田方郡韮山町(現・伊豆の国市)出身。静岡県立韮山高等学校卒業。高校3年生の時に、義兄から譲り受けた大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」〔国道1号線沿いの食堂。当時、頻繁に東京へ物資を運ぶトラック運転手を相手に昼夜を問わず開店していた。〕を経営。1960年、東京都調布市に給食事業を運営する「富士食品工業」(現・シダックスフードサービス)を設立し、社長に就任。従来の定食からカフェテリア方式にしたことで急成長を遂げた。集団給食を主体としたフードサービス事業とレストランカラオケ事業で業界トップクラス。1997年、社長を長男・勤一に譲っている。2012年6月、代表取締役会長から取締役最高顧問となる。 1993年に藍綬褒章、2006年には旭日重光章を受章。教育に関しては特に熱心であり、本社に志太学園調理師学校を併設したり、志太起業塾では中高年層に対して起業について自ら熱弁をふるった。大学は出ていないが、2007年には、多くの元プロスポーツ選手や企業家などが履修生として名を連ねる早稲田大学スポーツ科学学術院平田竹男研究室の社会人修士1年制の卒業生となった〔<卒業生のプロフィールと研究課題> 早稲田大学スポーツ科学学術院、第2期生 2007年度卒業〕。 また、無類の野球好きで知られる。高校球児であったが多発性関節炎を患い、野球を断念した。その後、実業家として軌道に乗ってから自社にシダックス野球部を創設し総監督に就任。2003年~2005年には友人の野村克也がGM兼監督として指揮を執り、注目を集めた。現在でもKB野球連盟 〔2001年1月に当時日本野球連盟会長の山本英一郎の協力のもと、志太が設立した旧日本K-Ball少年野球連盟。Kボールという硬式の特性を持ったゴム製のボールを使用することにより、中学3年生が軟式から硬式にスムーズに移行できることが特徴。BFA(アジア野球連盟)主催のAAアジア野球大会使用球。連盟から日本代表チームを派遣するなど、野球の国際的な普及にも貢献している。〕の会長を務めるなど、野球を通じて健全な青少年の育成に尽力している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志太勤」の詳細全文を読む
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