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都電志村線(とでんしむらせん)は、かつて東京都交通局により、巣鴨車庫前から志村橋まで、中山道沿いに志村・板橋地区と巣鴨を結んでいた都電の路線である。 ==歴史== * 1929年(昭和4年)5月27日:東京市電気局により、巣鴨車庫 - 旧下板橋停留所間開業。旧24系統(下板橋 - 巣鴨車庫 - 日比谷)運行開始。 * 1944年(昭和19年)7月5日:下板橋-板橋十丁目(後の板橋本町)間開業。 * 1944年(昭和19年)10月5日:板橋十丁目-志村(後の志村坂上)間開業。 * 1947年(昭和22年)12月25日:都電運転系統改定により、18系統・神田橋-志村間の運転となる。 * 1955年(昭和30年)6月10日:志村坂上(志村を改称)-志村橋間開業。41系統新設。 * 1966年(昭和41年)5月28日(最終運行日):都営地下鉄6号線(現・三田線)着工に伴い廃止。 都営地下鉄6号線の建設は中山道に土砂搬出用のスキップを建てると道路幅員が狭くなり渋滞を招くということで道路敷設許可が遅れていた。このため警視庁と協議し、歩道を掘り下げたうえ志村線を廃止のうえ道路幅員を確保することになった〔『東京都交通局60年史』297頁〕 廃止後代替バスとして105乙志村車庫-巣鴨間が設定されたが地下鉄三田線の開通に伴い1968年(昭和43年)12月末に廃止された〔『東京都交通局70年史』51頁〕 巣鴨車庫(巣鴨電車営業所)は1968年(昭和43年)、35系統(巣鴨車庫-水道橋-西新橋一丁目)廃止に伴い都営バス車庫に転用され、2013年まで巣鴨自動車営業所として使用された。なお正式な路線区分では巣鴨車庫から旧下板橋停留所までの区間を板橋線と規定していた事情から、同区間を都電板橋線と呼称することもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「都電志村線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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