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志波城[しわじょう]
志波城(しわじょう/しわのき)は、現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵。名称は「斯波城」とも。国の史跡に指定されている。 現在は盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されている。一時は鎮守府将軍が在する鎮守府が置かれていた可能性がある。 == 歴史・沿革 ==
=== 桓武朝の征夷事業と志波城 === 志波城は、平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が造営した古代城柵。胆沢地方において蝦夷の首長アテルイを降伏させた翌年の延暦22年(803年)に、北上川と雫石川合流地近くに造営された。これにより、朝廷は律令制の支配を北上川北部にまで及ぼすことが可能となった。志波城は、陸奥国最北の城柵であり、その平面規模は最大級であり、事実上は朝廷の文武支配が及ぶ最前線基地としての機能を担ったと考えられる。征夷大将軍の坂上田村麻呂は、延暦21年(802年)に胆沢城を、延暦22年(803年)に志波城を築いたが、築城と同時か数年後に鎮守府は胆沢に移転した。正確にいつかは不明である。胆沢の前に志波に置かれた時期があったかもしれないともいわれる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志波城」の詳細全文を読む
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