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志賀公園(しがこうえん)は、名古屋市北区平手町にある公園。同市における組合移管公園の第1号とされる。 == 沿革 == 向口武志(2012)によれば、平手政秀宅址の保護を目的として指定された都市計画公園である。指定当時は、史蹟であることを示す享和年間建立とされる記念碑が一基設置されているだけのただの田畑地であったという。公園の設計・監理として狩野力が携わり、同市における都市計画公園のモデルケースとしての完成を目指した。整備は市当局ではなく、土地区画整理の手法により土地区画整理組合が行った。ただし、減歩率の高さにより、組合員の合意が得られず、計画地の一部の整備にとどまった。また、公園の基礎は寄付により成立したが、その後市当局により整備が進められ、西側部分が防空緑地公園事業により用地取得されている。ただし、当初指定地だった東側部分に関しては、戦後住宅地となり、公園としては整備されていない。 * 1926年(大正15年)1月28日 - 都市計画公園第12号公園として決定。告示当時の面積は、7.89ha(23.9坪)とされた。 * 1927年(昭和2年)9月 - 西志賀土地区画整理組合が成立。 * 1930年(昭和5年)5月 - 公園の設計完了。 * 1930年(昭和5年)6月9日 - 西志賀土地区画整理組合により、起工される。 * 1931年(昭和6年)11月 - 工事完了。 * 1934年(昭和9年)11月19日 - 同年9月に区画整理組合から出されていた寄付の申請につき、市会において可決。 * 1935年(昭和10年)2月1日 - 告示により開園。 * 1947年(昭和22年)5月6日 - 告示により、都市計画公園第12号公園としては廃止。総合公園の志賀公園として改めて告示。 * 1956年(昭和31年)10月15日 - 都市公園法による公園となる。指定面積を2.75haと変更する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志賀公園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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