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志賀義雄[しが よしお] 志賀 義雄(しが よしお、1901年(明治34年)1月12日 - 1989年(平成元年)3月6日)は日本の政治家、共産主義運動の活動家。衆議院議員、日本共産党中央委員、「日本共産党(日本のこえ)」委員長などを務めた。ソ連共産党から資金援助を受けていた〔アンドレイ・イーレシュ『KGB極秘文書は語る』〕。 ==経歴==
===戦前の活動と投獄=== 山口県萩市出身。旧姓、川本。1906年、母方の祖父の養子となり、志賀姓となる。旧制萩中学校(現・山口県立萩高等学校)から一高を経て東京帝国大学文学部に入学する。帝大在学中に学生運動に参加し、在学中の1923年(大正12年)には、前年に非合法政党として結成された日本共産党へ入党。その後は共産党の活動を行ったが、1928年(昭和3年)の三・一五事件において検挙され、治安維持法により有罪とされた。獄中生活は1945年(昭和20年)に日本が第二次世界大戦で敗北するまで続いたが、志賀は多くの党員と異なり、獄中でも転向拒否を貫いた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「志賀義雄」の詳細全文を読む
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