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『快傑ハリマオ』(かいけつハリマオ)は、1960年4月5日 - 1961年6月27日まで日本テレビ系ほかで放送されていた日本のテレビ映画である。『怪傑ハリマオ』とも表記される。 == 概要 == 「月光仮面」を制作した宣弘社が制作した第四作目のテレビ映画。5部作全65話。舞台は太平洋戦争直前の東南アジアやモンゴル。正義の日本人、ハリマオが、東南アジア(第4部を除く)を支配する某国の軍事機関、彼らと結託する死の商人や秘密結社、スパイ団と戦う冒険活劇。 森下仁丹の一社提供番組で、夕食を終えた一家が仁丹を飲んで快傑ハリマオを楽しむというカウキャッチャーCMが放送されていた。『ハリマオ』の図版をあしらった「ハリマオガム」も発売され、ハリマオが鞭でガムを取るCMも放送された。なお舞台を東南アジアとしたのは、当時、森下仁丹が東南アジアへの進出を計画していたためという。(少年ドラマ研究家、安井ひさしによる) 原作は直木賞作家で海洋小説を得意とした山田克郎が1956年から一年間、日本経済新聞夕刊に連載した児童小説『魔の城』である。 太平洋戦争直前。マレー半島に大日本帝国陸軍に協力した義賊“マレーの虎”こと谷豊という人物がいた。谷豊の活躍は当時のマスコミで宣伝され、大映が現地ロケを行い、「マライの虎」という映画を制作し、大ヒットさせている。 山田の生前、「快傑ハリマオ」について研究していた倉橋敦司は、山田と手紙のやりとりを行った。それによれば、山田は、谷について新聞か何かで呼んだかすかな記憶を基に『魔の城』を執筆した。この小説に注目した宣弘社のプロデューサー、西村俊一が山田を訪ねてきてドラマ化を提案したという。山田はドラマには全くタッチしなかった。西村は、『魔の城』がインドネシアを舞台にした点やハリマオや彼を助ける日本人少年、太郎などのキャラクター設定のみ活かし、あとはオリジナルの展開とした。第1部の5回くらいまでが、原作の小説に基づいている。なお原題に使われた『魔の城』とは、悪役の陳秀明の率いる軍艦を指す。なお山田は、映画「マライの虎」は見ていなかった。 なおテレビ化にあたっては、明らかに映画も参考にしている。2部以降のオープニングには「''ハリマオとは? マレー語で 虎のことである''」というテロップが表示されている。 第1話 - 5話のみ試験的にカラーで制作された、日本初のカラーテレビ映画でもある〔ただし、当時カラー受像機自体が市販される以前である。〕。また、第3部では、タイ、香港、カンボジアのアンコールワットでロケを行い日本のテレビ史上初の海外ロケとなった。特にアンコールワットは、内戦で荒廃する前の貴重な記録映像となっている。アンコールワットで、現地の人に誤解され軍に拘束されかけたのを、偶然に日本語を話す人がいて事なきをえたという。 タイトルの「快傑」は怪傑からの造語で、後に『快傑ライオン丸』『快傑ズバット』などにも用いられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「快傑ハリマオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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