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快翁龍喜[かいおうりゅうき] 快翁龍喜(かいおうりゅうき、文明13年(1481年) - 永禄12年(1569年))は戦国時代の僧侶。 のちに尾張国知多郡岩滑(現在の愛知県半田市岩滑)の城主となった中山氏の出身で、水野忠政の家臣中山又助の次男であったという。 ==経歴== 乾坤院三世・芝岡宗田和尚について得度し、三河国宝飯郡八幡村(現在の愛知県豊川市八幡)の西明寺三世実田以転和尚の法灯を継ぎ、師を助けて曹源寺草創に参画し、その二世住職となった。 さらに、天文9年(1540年)に西明寺四世住職となった後、天文13年(1544年)に水野忠政の娘・栄信正盛尼(於大の方の姉妹)が現在の知多郡阿久比町草木に来て正盛院を開基した際、その開山に招請された。また、後に三度にわたって、乾坤院に輪着して、宗風を大いに振興したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「快翁龍喜」の詳細全文を読む
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