翻訳と辞書
Words near each other
・ 忽必烈
・ 忽敦
・ 忽沙虎
・ 忽滑谷快天
・ 忽然
・ 忽然と客の消えるブティック
・ 忽那憲治
・ 忽那汐里
・ 忽那諸島
・ 忽那賢志
忽那通著
・ 忽雷架
・ 忽雷架式
・ 忽魯謨斯
・ 忾
・ 忿
・ 忿怒
・ 忿懣
・ 忿然
・ 怀


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

忽那通著 : ウィキペディア日本語版
忽那通著[くつな みちあき]

忽那 通著(くつな みちあき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将伊予国大名河野氏の家臣。板島水軍の将。伊予国忽那山城主。
== 生涯 ==
永禄8年(1565年)に豊後国の大名大友義鎮が伊予国に侵攻すると、河野氏の指示を受け、来島通康村上武吉らとともに大友軍を撃退した。天正元年 (1573年)、大野氏長宗我部元親に降ると、その討伐に出陣した。天正年間には、畿内を制圧した織田信長の軍勢が中国地方にも進出し、各地で毛利氏と衝突を繰り返すようになった。通著は村上水軍らとともに毛利氏の支援を行い、大友氏の牽制のために豊後国周辺にも出陣している。天正7年(1579年)、大野直之が長宗我部元親に通じて河野氏に謀反を起こすと、その鎮圧に出陣したが、花瀬城を巡る戦いにて討死した。
嫡男が幼かったため、弟の通恭が家督を継ぐが、羽柴秀吉四国攻めにおける高峠城の戦いで、小早川隆景の軍と激戦の末に討死した。弟の通実も金子城にて討死し、一族のほとんどは滅亡した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「忽那通著」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.