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恋はみずいろ(こいはみずいろ、原題はフランス語でL'amour est bleu ラムール・エ・ブル)は、ヨーロッパのポピュラー・ソング。歌詞もフランス語。1967年発表。ピエール・クール (Pierre Cour) 作詞、アンドレ・ポップ (Andre Popp) 作曲。 はじめはヨーロッパで、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1967においてヴィッキーの歌唱で発表され4位に入賞。 翌年にはポール・モーリア編曲のインストゥルメンタルバージョンがヒットチャート5週連続1位を獲得するなど爆発的にヒットし、数多くのアーティストによってカバーされ、60年代~70年代に突出した頻度で各メディアで流れた曲であり、また現在でもイージーリスニング音楽やBGMの定番のひとつとして用いられており、世界中の多くの人々に親しまれている曲である。 == 概要 == 原曲のフランス語版の歌詞はポエティック(詩的)で、恋する女性の喜びと辛さを表現している。まず「doux(ドゥ)」つまり「甘美」あるいは「うっとりしてしまうような」といった意味の歌詞の繰り返しで始まり恋の喜びを描く。次に恋人と離れている時の悲しい気持ちなどを歌い、曲全体としては、恋によって揺れ動く女性の心を歌っている。女性の気持ち・気分は、メタファーを用いて、詩的かつ簡潔なフランス語で表現されている(たとえば、空の青色〔例えば、恋人と離れた時には灰色(雨もようの空)、恋人がそばに戻ってきてくれると青色、という内容であり、原曲では「青」は青空と強く結びついており、晴れた空のような気分を表現している。結局、曲のタイトル「L'amour est bleu」も、恋人とともにいる時に感じる青空のような晴れやかな気持ち を表現していることになる。〕、空の灰色、あるいは風や水など)。リフレイン部分では水の流れをメタファーとして用い、恋人への強い愛情を表現している。 1967年、この年ウィーンで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテストにおいて、アンドレ・ポップと組んだギリシャ出身で当時まだ10代後半であったヴィッキーがルクセンブルク代表として出場しフランス語の歌唱で発表、ビートの効いたアップテンポの編曲で、ヴィッキーは力強い曲調で歌い〔フランス語であるが、ドイツ語を連想させるような強い発音で歌った〕、17ポイントを獲得、参加曲17の中で 第4位を獲得した。ヴィッキーにとって初めて世界的に認められることになった。 コンテスト入賞後に、Brian Blackburnが英語版の歌詞「Love Is Blue」を書いた。このBrian Blackburnの英語バージョンは、フランス語版とは異なって、恋の悲しみのほうが強調された内容になっている。ヴィッキーはフランス語版と英語版のレコーディングを行い、ラジオで流れテレビにもそれなりの頻度で出演したものの、この段階では控えめなヒットにとどまった。 だが1967年(ヴィッキーによって入賞した年)の後期には、ポール・モーリアがイージーリスニング調にアレンジし彼の楽団の演奏でインストゥルメンタル曲として録音したものがシングルレコード化され、これがアメリカ合衆国で大ヒットした(1968年の2月および3月に、Billboard Hot 100で5週連続第1位となるほどであった。なおBillboard Hot 100でフランスの曲が第一位に輝いたことがあるのはこの「L'amoure est bleu」のみであり、インストゥルメンタル曲が同チャートの第1位にランクされた期間の長さとしても連続5週というのは歴代2位の長さである。)またポール・モーリアのレコードはイギリスのシングルチャートでも最高12位を記録した。日本国内でも「恋は水色」はアルバム『パリのあやつり人形/ポール・モーリア・ヨーロッパ・トップ・ヒッツ』(SFX-7085)より1967年10月1日にシングルカット(SFL-1123)され、オリコンチャート最高18位、約12万枚のセールスを記録した〔ORICONSTYLE 〕。 ポール・モーリア版の大ヒット以降、L'amour est bleu / Love is blueをカヴァーするアーティストが急速に増えた。カバーしたアーティストの数は数え切れないほどであるが、たとえば大御所としてはアル・マルティーノAl Martino、ジェフ・ベック Jeff Beck、シルヴィ・ヴァルタン Sylvie Vartan、クロディーヌ・ロンジェClaudine Longet、 ジャッキー・ミットゥJackie Mittoo、ザ・デルズ The Dells, Ed Ames, ジョニー・マティス Johnny Mathis、マーティー・ロビンス Marty Robbins, フランク・シナトラ Frank Sinatra,、ローレンス・ウェルク Lawrence Welk, ミシェル・トール Michèle Torrなどがいる。 なおこれらポール・モーリア以外のカバー作品の中にもヒットチャートの比較的上位に登ったものもある。たとえばジェフ・ベックはポール・モーリアの編曲をさらにロックの立場で再解釈して演奏・録音したが、イギリスのシングル・チャート第23位にまで到達した。なお、L'amour est bleu はユーロヴィジョン・コンテストの入賞時には順位が4位であったにもかかわらず、同コンテストで世に登場した歴代の曲の中で最も売れ最もカバーされた曲となっている。 ヴィッキーもポール・モーリア版のヒットとともに各国で再注目され活躍するようになった。日本でも上述したようにポール・モーリア版が1967年から大ヒット、ヴィッキーも1968年に来日、ファンも増え数年の間、何度もテレビに登場した。漣健児訳詞による日本語バージョンも作成されヴィッキーは日本語でも歌った。 なおヴィッキーはユーロヴィジョンで発表した時は強めの曲調で歌っていたが、ポール・モーリアのインストゥルメンタルが大ヒットしてからは、柔らかめの曲調で歌うようになり、1968年に初来日した際にもポール・モーリア風の歌唱をした。(その後日本語バージョンは、森山良子やCHARA、Theピーズ歌唱によってCD化されている。)ヴィッキーによるドイツ語版("Blau wie das Meer")、イタリア語版 ("L'amore è blu") 、オランダ語版("Liefde is zacht")もレコーディングされた。 このようにして、60年代および70年代この曲のメロディーは様々なメディアで極めて頻繁に流れるものとなり、またその後もポールモーリア版などが各所でBGMなどとしても使われ、世界中で多くの人が親しんでいるメロディーとなったのである。 なお原曲のヴィッキーによる歌唱やポールモーリア版、さらに男性歌手たちやジェフ・ベックによるカバーなどもYoutubeで視聴可能である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「恋はみずいろ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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