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恩地 日出夫(おんち ひでお、1933年1月23日 - )は、日本の映画監督である。 ==来歴== 東京市(現世田谷区)に生まれる。長野、山形への学童疎開を経験した後、東京都立千歳高等学校(現・東京都立芦花高等学校)卒業。慶應義塾大学経済学部在学中は新聞部に属し、ジャーナリストを志したが、1955年助監督試験を受けて東宝に入社。森谷司郎、木下亮が同期。 堀川弘通監督の助監督を経て、1960年、27歳の若さで監督に昇進する。1961年、鬱屈した非行少年のやり場のなさを描いた『若い狼』で監督デビュー。続いて、団令子主演で作品を発表するが、「観念的」「難解」と評される。ブランクの後、内藤洋子売り出しのための『あこがれ』を制作。そのみずみずしい映像感覚は評判となる。その後の『伊豆の踊子』『めぐりあい』などで、青春映画に新境地を開く。 以後、寡作ながら新宿西口バス放火事件の被害者の手記を映画化した『生きてみたいもう一度・新宿バス放火事件』や、昭和30年代の農村で育つ子供達の姿を活写した『四万十川』などを発表。『蕨野行』(村田喜代子原作)では、芸術選奨文部大臣賞・報知映画賞監督賞を受賞している。 一方テレビドラマでは『傷だらけの天使』(1974年 - 1975年)の監督を手がけた。特にオープニング映像の演出は視聴者に強烈な印象を与え、テレビ史における名シーンとなっている。 1979年には、シンガーソングライターの泉谷しげるを主役に起用した土曜ワイド劇場『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』で、芸術祭賞優秀賞を受賞(この作品が泉谷の俳優デビュー作となった)。 「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている〔マスコミ九条の会(よびかけ人はだれですか) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「恩地日出夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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