翻訳と辞書
Words near each other
・ 恭倹寺
・ 恭哀皇后
・ 恭城
・ 恭城ヤオ族自治県
・ 恭城瑤族自治県
・ 恭城瑶族自治県
・ 恭城県
・ 恭妃
・ 恭子 (小惑星)
・ 恭子内親王
恭子女王
・ 恭宗
・ 恭宗 (宋)
・ 恭帝
・ 恭帝 (宋)
・ 恭帝 (後周)
・ 恭帝 (東晋)
・ 恭帝 (西魏)
・ 恭帝トウ
・ 恭帝侑


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

恭子女王 : ウィキペディア日本語版
恭子女王[きょうし]
恭子女王(きょうし(たかこ)じょおう、永観2年(984年) - 薨年不詳)は、平安時代中期の皇族伊勢斎宮為平親王王女村上天皇皇孫)、母は左大臣源高明。同母兄弟に源憲定源顕定源頼定婉子女王などがいる。
一条天皇斎宮として、寛和2年(986年)8月8日に3歳で卜定される。その後宮内省初斎院入り、永延元年(987年)9月13日、野宮に移る。同2年(988年)9月20日、5歳で乳母に抱かれて群行の儀に臨み、伊勢へ群行した(長奉送使権中納言藤原道兼)。長保2年(1000年)11月7日、17歳で著裳寛弘7年(1010年)11月7日、父為平親王薨去により27歳で退下。一条天皇朝のほぼ全期間、24年に渡る長期の在任であった(歴代斎宮の中でも、柔子内親王に次いで2番目に長い)。寛弘8年(1011年)4月21日に大祓を行い、同年5月25日に帰京。その後の消息は不明。
一条天皇の中宮定子と仲睦まじく、文を交し合っていたと言われている。

== 参考文献 ==

* 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』(日本図書センター1993年
* 角田文衞監修『平安時代史事典』(角川書店1994年
* 山中智恵子『続斎宮志』(砂子屋書房1992年) ISBN 4-7904-9221-4




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「恭子女王」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.