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恭翁運良[きょうおう うんりょう]
恭翁運良(きょうおう うんりょう、文永4年(1267年) - 暦応4年/興国2年8月12日(1341年9月23日))は、南北朝時代の臨済宗の僧。出羽国の出身。 == 生涯 == 初め出羽国(後の羽前国)玉泉寺で出家した。次いで能登国永光寺の瑩山紹瑾に学んだ。後に紀伊国興国寺の無本覚心に学んで法を嗣いだ。京都万寿寺に南浦紹明に参禅し、南浦の鎌倉下向に同行したあと、能登に戻り、瑩山紹瑾の勧めで加賀国大乗寺の住持となり、あわせて道元自筆の「仏果碧厳破関撃節(一夜碧巌集)」(重要文化財)、棕櫚払子などを相伝した。しかし曹洞禅の寺院に臨済僧が入寺したために混乱が起き、勇退して元徳3(1330)年に加賀国伝燈寺(金沢市)を開いた。その後、越中国氷見湊に「石浮図」(石造の仏塔に灯台の用をなさせたものか?)を建立し、海上交通の目標物とするなど、勧進僧として活動している。次いで放生津に興化寺を開き、同寺で没した。塔所(墓所)である大光寺跡は、現在射水市中央町にある「来光寺塚」に比定する説がある。弟子に至庵綱存(伝燈寺2世)、絶巌運奇(越中長慶寺開山)、桂巌運芳(建仁寺53世、万寿寺35世、越中薬勝寺勧請開山)、呑象運光(越中蓮華寺開山)がある。伝燈寺に伝えられた頂相は金沢市指定文化財。「一夜碧巌集」は至庵綱存が継承し、綱存の弟子である蔵海無尽(加賀妙雲寺開山)が康永4年(1345)大乗寺へ贈ったため、現在同寺が所蔵する。
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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「恭翁運良」の詳細全文を読む
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