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恵那司 千浩(えなつかさ かずひろ、1979年7月9日 - )は入間川部屋に所属した大相撲力士である。本名は水野 千浩(みずの かずひろ)。岐阜県恵那市(旧明智町)出身。身長179cm、体重140kg。血液型はB型。得意手は押し、左四つ、寄り。好物はうどん、趣味は自転車乗り。最高位は西幕下20枚目(2004年9月場所)。 == 経歴 == 2歳の時に父を亡くし、母と兄の3人家族に育つ。小学生の頃は新聞配達を手伝った。中学卒業後に入間川部屋に入門し、1995年5月場所において初土俵を踏んだ。2000年3月場所において幕下へ昇進するものの、関取への昇進は果たせず、現役晩期は幕下と三段目との往復が続いていた。また、相撲甚句を担当していた。 2011年の大相撲野球賭博問題の調査の際に、22代竹縄親方(元幕内・春日錦)と千代白鵬の携帯電話のEメール解読作業から、清瀬海と恵那司と八百長を画策したと思われる内容のメールが発見された〔「すぐにはたかず途中で投げます」力士八百長メール発見 2011年2月14日 asahi.com〕。これにより、八百長の仲介役(中盆)として普段から動いていたのではないかと注目される。 それに関する調査のために調査委員会から自身の携帯電話の提出を求められたものの、「2月2日に機種変更をしている」との理由で提出はしなかった〔八百長問題:「灰色」10人見送り 土俵に残る疑惑 2011年4月2日 毎日jp〕。しかし、その後の聞き取り調査で恵那司は八百長に関与したことを認め〔八百長認めた力士、もう1人の関与告白 疑惑は14人に 2011年2月23日 asahi.com〕、引退届を日本相撲協会に提出したものの、その時点では引退届は受理されずに保留となった〔恵那司が引退届 2011年3月2日 東京新聞(Web魚拓)〕。同年4月1日に日本相撲協会から出場停止2年の処分を受け、同日に発表された謝罪文では「私は無気力相撲を取ったことはありません」「非常に不本意だったが番付上位の無気力相撲の依頼を断れなかった」「金銭や自身の地位のために行ったのではない」などと記しているが〔激白!恵那司「伝達役を断れなかった」 2011年4月2日 日刊スポーツ〕、実際には春日錦に対して「今日の内容は物言い付けようがないですね〜。南海(旭南海)さんが貸してるのを豊関(豊桜)に移行してもらいたいみたいで、豊関とあたったらコケてもらいたいみたいです。そして新たに南海、天狼(若天狼)、錦関(春日錦)と3人で回したいみたいです。明日、若天狼に勝って〇、南海とあたったら負ける●感じです〜どうでしょうか?」、千代白鵬に対しても「5万もないのかな」といった内容のメールを送信していたことが判明している〔八百長メールやりとり…今日はどう?コケます YOMIURI ONLINE 2011年2月4日〕。同年4月2日に引退届が師匠である入間川親方(元関脇・栃司)から日本相撲協会へ提出され、正式に恵那司の引退が受理された〔引退勧告に師匠は涙…「本当につらい」 2011年4月2日 サンケイスポーツ〕〔19人が引退・退職届 谷川親方だけ提出せず MSN産経ニュース 2011年4月5日〕。 その後、2012年3月1日に東京地方裁判所にて行われた蒼国来の地位確認訴訟に証人として出廷し、大相撲八百長問題の発覚以降初めて公の場に姿を現した。法廷では「蒼国来の八百長を5回以上仲介した」「(春日錦対蒼国来戦における八百長仲介について)そうだったのかなと思う。ただ(仲介が)複数回あるので記憶が定かではない」と証言した〔元蒼国来の地位確認訴訟 元力士が八百長仲介を証言 2012年3月1日 スポーツニッポン〕。 2011年11月には高等学校卒業程度認定試験に合格し、2012年4月には柔道整復師を目指して愛知県稲沢市にある専門学校に入学している〔八百長問題で引退の元恵那司、再出発の門出 2012年3月23日 デイリースポーツ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「恵那司千浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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