翻訳と辞書
Words near each other
・ 悲しい気持ち (Just a man in love)
・ 悲しい耳鳴り
・ 悲しい自由
・ 悲しい色やねん
・ 悲しい酒
・ 悲しがる
・ 悲しき16才
・ 悲しき16歳
・ 悲しきASIAN BOY
・ 悲しきASIANBOY
悲しきあこがれ
・ 悲しきわがこころ
・ 悲しきサルタン
・ 悲しきサルタン (アルバム)
・ 悲しきスクリーン
・ 悲しきテディ・ボーイ
・ 悲しきヒットマン
・ 悲しきヘブン
・ 悲しきメモリー
・ 悲しきレイン・トレイン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

悲しきあこがれ : ウィキペディア日本語版
おさらば[おさらば]

おさらば」は、1972年4月25日に発売されたオフコース(当時の表記はオフ・コース)通算3枚目のシングル
== 解説 ==
小田和正鈴木康博 • 小林和行の3人編成だったジ・オフ・コースが、コーラスに吉田浩二を加えて「オフ・コース」と改称して発売した、このラインアップでの唯一のシングル曲。
カップリング曲と共に東海林修の提供曲で、編曲も自身が担当している。東海林はオフコースをコーラスワークをアピールするヴォーカル・グループとして売り出すことをイメージして、彼の力添えで1972年5月13日TBSで放送された『第1回東京音楽祭』に出場し同曲を歌うが、入賞できずに終わる。このとき垣間見たテレビメディアの酷悪さに驚き、以後テレビ番組へはほとんど出演せず、レコード制作とコンサート活動に専念することになる。
当時、東海林は2人の実力を高く評価していて、様々な形でオフコースを売りだそうと面倒をみた。そのひとつが東海林が音楽監督のような立場にいたNHKの若者向け番組『ステージ101』の“ワカとヒロ”の後任をオフコースがやらないかというオファーだった。番組を見学に行くと2人は歌って踊っていた。「最終的に自分達がやりたいことが出来るならどんなチャンスも生かそう」と言う鈴木に対して、楽器も持たずに踊りながら歌うことに抵抗を感じた小田はこれを拒否、最終的にこの話は実現せず、やがてオフコースと東海林との関係も終息する。
5月19日東京プリンスホテルにある“プリンス・ヴィラ”でのコンサートにてメンバーが小田 • 鈴木の2人となったことを宣言、以後2人組として活動を続ける。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「おさらば」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.