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悲劇の一週間[ひげきのいっしゅうかん]
悲劇の一週間(ひげきのいっしゅうかん、、)とは、1909年7月25日から8月2日まで続いた、スペイン軍とカタルーニャの労働者たちが衝突した事件の名称である。 ==背景== 1902年、スペイン王アルフォンソ13世は親政を開始した。1907年4月以来保守党のアントニオ・マウラ(es)が首相をつとめていた。 当時のスペイン政治は、1898年に最後の海外領土キューバとプエルトリコを戦争で失うという損失から回復しつつあった。保守党と自由党という正反対の二大政党制が定着しつつあり、カシキスモによって選挙は完全に監視されていた(カシキスモとは、地方の政治的首長(カシーケと呼ばれた)が票と引き換えに農村部の後援を行う制度で、投票数を制御できるカシーケは中央政府との交渉ができ、党の地方拠点の顔役となった)。選挙で第一党が選ばれる前に、どこの政党が第一党になるか既に知られているような選挙制度だったのである。 カタルーニャでは、選挙でフランセスク・カンボ率いるソリダリダー・カタルーニャ、アレハンドロ・レルー率いる連合共和党が争っていた。1907年の選挙の結果、ブルジョワ階級とナショナリストの支持するソリダリダー・カタルーニャが、44議席のうち41議席を獲得した。 スペイン社会では、労働者連合が目覚め、工業地帯での労働運動と結びつき始めていた。特にバルセロナではソリダリダー・オブレーラという同業者組合が生じていた。この組合は、社会主義者、アナーキスト、共和主義者の連合体で、マウラ率いる保守党に接近するソリダリダー・カタルーニャを拒否していた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「悲劇の一週間」の詳細全文を読む
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