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吉村 明美(よしむら あけみ、3月5日 - )は日本の漫画家。長崎県生まれ、横浜市育ち。現在は札幌市在住。血液型はO型。 1980年、小学館の少女漫画雑誌『プチコミック』10月号に掲載された「まちぼうけ花」で漫画家デビュー。代表作は「麒麟館グラフィティー」や第39回小学館漫画賞を受賞した「薔薇のために」など。 『月刊フラワーズ』(小学館)にて2007年2月号より2, 3か月に一度の頻度で「夢の真昼」を連載開始。2009年5月号の掲載後、体調不良により約2年間休業したが、2011年8月号から復帰、連載中〔2013年1月現在。〕。一時は廃業も考えたという。〔『夢の真昼』第3巻 p.96 「きんきょう」より〕 「薔薇のために」は台湾で「薔薇之恋」というタイトルでテレビドラマ化された。また、「麒麟館グラフィティー」も台湾でのドラマ化が決定している。 == 経歴・人物 == 『あなたがいれば』のあとがきで、漫画家になった経緯を語っている。それによると、東京でOLをしていた彼女は、電車の朝の通勤ラッシュを非常に苦痛に感じており、ある日いつものように挨拶をしようとしたところ、「私、会社辞めます」と言ってしまった。 会社を辞めたことを親に報告しに行くときに立ち寄った本屋で見た、『プチコミック』の大島弓子の表紙の絵の可愛さに一目惚れ。投稿作品の応募資格に「年齢・経験不問」とあるのを見て、漫画を描こうと決意した。漫画家になろうと決断した最大の理由は「通勤がないこと」だったと言う。 会社を辞めたその冬に、生まれて初めて描いた漫画を出版社へ持込みをする。出版社の人に漫画の描き方などを教えてもらい、これから2年間漫画のことを勉強しようと意気込んでいたら、翌年6月にデビューが決まった。雑誌に掲載された自分の絵の下手さに落ち込み、現在でも自分の絵にはコンプレックスがあると言う。 作品を描くときは、まずタイトルを決める。「タイトルが決まらなければ中身が思いつかない」らしく、また、自分が描きたくないものは基本的に描かない(描けない)という姿勢を持っている。それゆえに一時期編集部ともめ、数年間連載をさせてもらえないという事態にまで陥ったこともある。 1983年、「ようこそ青」の結末に関する読者の反響を考慮し、以後連載作品においては、 # 主人公の男性キャラは絶対殺さない # 連載の最後は何が何でもハッピーエンドにする という二大約束を決めた。 自称「筋金入りの怠け者」で、連載作品が2, 3か月も間が空いてしまうと、自分の作品がどうであったか忘れてしまう可能性が高いとのこと。 『悲劇の女王』のあとがきでは、「テレビを30年くらい見ていない」と語っており、一部の友人から「陸のシーラカンス」と呼ばれているらしい。 2007年から翌年にかけて、初期の短編や単行本化されていなかった作品、未収録だった作品を集めた「吉村明美セレクション」が刊行された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉村明美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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