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イエスの愛しておられた弟子(イエスのあいしておられたでし)、または 愛する弟子 は、正典福音書では『ヨハネによる福音書』のみに登場する人物。伝統的に使徒ヨハネと理解されているが、異論もある。 第四福音書とも呼ばれる『ヨハネによる福音書』の最後にある記述〔「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。」(21:24)〕によって、その著者が示される。匿名の「この弟子」は、「イエスの愛しておられた弟子」あるいは「愛する弟子」として同書にたびたび登場するが、他の福音書(共観福音書)には登場しない。 英語では The Beloved Disciple として、しばしば固有名詞的に扱われる。 『ヨハネによる福音書』における「イエスの愛しておられた弟子」が誰であるかと、ヨハネ福音書の著者が誰であるかとは無縁ではない。なぜならば、『ヨハネによる福音書』はキリスト教ヨハネ派の誰かによって書かれたものなので、『ヨハネによる福音書』の書記が使徒ヨハネを高めようとするのは必然的だからである。 == 使徒ヨハネ == 実際のヨハネ福音書の著者が誰であれ、同書に登場する「イエスの愛しておられた弟子」あるいは「愛する弟子」は使徒ヨハネを指すものとされてきた。その根拠は次の2つである。 ;エイレナイオスによる伝承 :エイレナイオスが2世紀後半に記した『異端反駁』によれば、彼が子供のとき師事していたポリュカルポスなどから、ヨハネ福音書が使徒ヨハネに由来すると聞いていたとのこと。これをもとにエイレナイオスは同書で「主の御胸によりかかっていた主の弟子ヨハネは、アジアのエフェソにいた時、彼の福音書を出した」と書いている。 ;使徒ヨハネがこの書には登場しないこと :共観福音書からはペトロに次ぐ弟子と目される使徒ヨハネは、ヨハネ福音書ではただ一ヶ所、「ゼベダイの子たち」〔21:2〕として記されているのみで、使徒ヨハネの名前はいっさい出てこない。匿名の「イエスの愛しておられた弟子」はペトロと対になり登場することが多い。共観福音書を見れば、しばしば重要な場面でペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人がイエスに同行する〔マルコ9:2ほか〕。『ルカによる福音書』〔ルカ22:8〕、『使徒言行録』〔使徒3:1など〕ではペトロとヨハネの2人が共に行動している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イエスの愛しておられた弟子」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Disciple whom Jesus loved 」があります。 スポンサード リンク
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