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「愛にさよならを」(あいにさよならを、)は、リチャード・カーペンターとジョン・ベティスが作曲し、カーペンターズが1972年に発表した歌。 == 経緯 == リチャード・カーペンターが、ビング・クロスビーの1940年の映画『』を観ているうち、劇中で苦悶する作曲家の偉大な作品『愛にさよならを』は題名しか言及されず、リチャード曰く「その曲は劇中で演奏されず、ただ曲の存在が口にされるだけ」とのこと。彼はすぐにメロディと歌いだし歌詞を思いついたという。 : 愛にさよならを言おう : 私が死のうと生きようと、誰も気にかけはしない。 : 私の傍を、恋のきっかけが何度も通り過ぎていった… カーペンターズがこの曲の制作をするうち、リチャードはファズギターを取り入れるべきだと考え、カレン・カーペンターはカーペンターズの前座を務めていたバンドのトニー・ペルーソに電話をかけ、レコーディングへの参加を誘った。ペルーソは後に「最初は電話の主が本当にカレン・カーペンターなのか信じられなかった。でも彼女がもう一度名乗ってくれて…ようやく本当に彼女なんだと、自分が憧れのアイドルと話しているんだと分かった」と回想している。カレンはペルーソに、自分とリチャードが「愛にさよならを」という曲の制作をしていること、2人ともペルーソのバンドでの仕事ぶりをよく知っていること、ペルーソは自分たちが求める音にぴったりなのだという事を伝えた。(レコーディングで)まずペルーソはいくぶん優しく、甘く演奏したが、リチャードは「違う違う! メロディーを5小節演じたら、その後はバクハツするんだ! 成層圏まで舞い上げろ! さあ行け! きっと凄いぞ!」と励ました〔。15分後、この名曲は缶に収められた。 リチャードは、1971年末ベティスと共にロンドンを訪れている間にまず曲を書き上げ、翌1972年には詞を加えた。リリースされると、Billboard Hot 100の7位まで上った。カーペンターとベティスの共作からなる曲が全米10位内に入ったのはこれが最初である。しかし、ラブバラードにファズギターのソロを入れるというリチャードのアイデアによって、「カーペンターズは裏切ってハードロックに転向した」といった嫌がらせの手紙が届いた。また、いくつかのアダルト・コンテンポラリー志向のラジオ局も、これを理由に放送しなかった(シングルA面としては「涙の乗車券」に次いで初めてこの曲がアダルト・コンテンポラリー・チャートの1位になれなかったのはこれが理由かもしれない)。しかし、多くのカーペンターズ・ファンは今日でも、この曲をそのユニークさゆえに高く評価している。ペルーソは「ロックンロールとイージーリスニングを融合させようなんて誰も考えつかなかった事だよ。リチャードの発想には驚かされた」と述べている〔。現在では、パワーバラード (power ballad) の原型だと評されている。 ドキュメンタリーDVD "Close to You: Remembering the Carpenters" で、トニー・ペルーソは「この曲はファズギターを初めて使ったラブバラードのうちの一つだ」と述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「愛にさよならを」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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