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『愛の妙薬』(あいのみょうやく)は、ガエターノ・ドニゼッティが作曲、1832年に初演された全2幕からなるオペラである。喜劇的なイタリア・オペラとしては、ロッシーニの『セビリアの理髪師』などと並び、比較的数の少ない人気作品である。テノールとソプラノの主役カップルにバリトン2人で大部分を占め、他に脇役ソプラノ1人、合唱というシンプルな人物構成で、4人までは充分に見せ場、聴かせ場が与えられているため、スター歌手の顔見世公演にも適している。 * 原語曲名:''L'elisir d'amore'' * 台本:フェリーチェ・ロマーニ、もともとはスクリーブがオベールのために書いた ''"Le philtre"'' の台本による * 初演:1832年5月12日、ミラノのカノビアーナ劇場にて == 作曲の経緯 == ミラノのカノビアーナ劇場では5月の舞台にオペラの新作を登場させるべく、ある作曲家に新作を依頼していたが、作業を突然放棄してしまった。期日まで1か月の短期間であったため、支配人アレサンドロ・ラナーリは速筆で知られていたドニゼッティに泣きつかんばかりに新作オペラを依頼した。 ドニゼッティの条件は、すでにオペラ『アンナ・ボレーナ』で作業を共にしていた人気台本作家ロマーニ(当然、彼もまた速筆であった)を使って1週間程度で台本を得ることであった。しかしロマーニといえどもこの短期間に白紙から台本を起こすことは不可能だったものと見え、彼は前年パリでスクリーブがオベールのために書いたオペラ台本(リブレット) ''"Le philtre"'' を翻案し、田舎の村で起きた他愛もない恋愛喜劇2幕物を書き上げた。ドニゼッティはその台本にわずか2週間で作曲したという。前年の1831年、同じミラノでベッリーニが、やはり田舎村での恋愛騒動を描いたオペラ『夢遊病の女』(''La sonnambula'')を成功させていたことも、ドニゼッティとロマーニの念頭にあったとも考えられる。 劇場の願い通り、オペラは5月の舞台に間に合ったばかりか、初演から30回以上の再演を数える大ヒットとなって、ドニゼッティは一段と盛名を馳せることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「愛の妙薬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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